大学が1558年に設立されて以来、イエナは学問の街として広く知られてきました。
17世紀の後半に「アルマ・マーター・イェネンズィス」と呼ばれた大学は最初の全盛期を迎え、ドイツ国内外からも多くの学生が集まりました。
ワイマール公国の宮廷があったワイマールに近く、またその大臣でもあった詩人ゲーテがイエナを支援したことで、この街は1785年から古典主義に深く関わり始めます。ゲーテはワイマール宮廷に距離をおくためにイエナへ赴き、ここに心の平安を見いだして創作活動に励みました。ゲーテはまた、街と大学の発展に大きく貢献したことで知られています。植物園や鉱物収集館、大学図書館といった学術施設は、ゲーテのアイデアから生まれその指揮のもとで整備されたものです。
またゲーテの推薦で多くの著名人がイエナにやってきました。中でも最も有名な人物がフリードリッヒ・フォン・シラーです。シラーは教授としてイエナに移り住み、1789年から1799年まで大学で教鞭をとりました。イエナでのこの時期、シラーは創作にも意欲的に励み、またゲーテとのゆるぎない友情を育んでいきました。古典主義時代、イエナはドイツの精神文化の中心となり、初期ロマン主義時代においては首都ともいうべき存在になり、さらにフィヒテやヘーゲル、ノヴァーリスといった人物がイエナで暮らしたことでヨーロッパの精神史の中核となっていったのです。
カール・ツァイスは1846年にここで光学製作所を創立しました。エルンスト・アッベとオットー・ショットは1884年にガラス研究所(後のガラス製作所)を設立し、精密技術/光学産業の礎を築きました(ツァイス工場)。ここでツァイス顕微鏡を始めとする様々な器具が開発され、のちに世界中から高い評価を受けるようになったのです。ツァイス顕微鏡が開発された当時の様子については光学博物館でその詳細をご覧いただけます。
このように大学と産業界が有意義に結びついたことにより、興味深い施設や建物が生まれていきました。今日では、プラネタリウム、化石博物館、カンファレンスセンター「フォルクスハウス」、ヘッケルハウス、大学の本館といった新しい建物が、「コレギウム・イエネンゼ」や市庁舎、市教会、ヨハネ墓地のある歴史的なフリーデン教会、「シラー教会」(シラーがシャルロッテ・フォン・レンゲフェルドが挙式をしたことで有名)、さらに華麗な市民の家屋などの古くからある建物に加わり、見事な調和を見せています。
今日のイエナの人口は10万4000人以上です。大学、及び技術専門大学、地域産業(ショット・イエナガラス社、イエナ・カールツァイス社、イエナファーム社、イエナオプティック社)および数多くの科学研究機関により、イエナはチューリンゲン自由州における技術と学術の中心となっています。その中にあって、フリードリッヒ・シラー大学の位置づけは特別です。
イエナの大学の魅力は、質の高いヨーロッパの伝統的な学術構造と最新鋭の科学や伝統文化がうまく融合しているところにあると言えるでしょう。この魅力に惹かれ、ドイツ国内はもとより著名な海外の教授もイエナでの教鞭の機会を求めてこの地にやってきます。
また、イエナは学術分野においてもビジネスにおいても、その潜在能力を高く評価されています。それは三つのマックス・プランク研究所を始め、フラウエンホーファー応用光学/精密工学研究所、物理応用技術研究所など数多くの学術研究所がこの地に拠点を置いていることからもおわかりいただけるでしょう。